わかりやすいの落とし穴
「わかりやすいのはよいことだ。」と言われたら、特に不自然な感じはしないと思います。
「それはそうでしょう。」と思うのではないでしょうか。
しかし、わかりやすさにも色々あります。
「わかりやすくていいなぁ。」と思って勉強していても、全然成績が伸びないということもあると思います。
勉強にとって有効なわかりやすさもあれば、学力の向上には全く寄与しない危険なわかりやすさもあるということです。
わかりやすいからといって、そのような危険なわかりやすさに飛びつかないようにしたいものです。
頭を使わない『わかりやすさ』
別に身に付けたいわけではない。
とりあえずその場を乗り切ればよい。
そんなことってありませんか?
日常生活のなかでは、『その場でできればOK』ということも少なくありません。
そのような場合、言葉や文字だけで説明されるよりも絵や図で説明された方がわかりやすいと感じるはずです。
そして、絵や図、写真で説明されるよりも動画で説明された方がわかりやすく、動画で説明されるよりも直接やってみせてもらった方がわかりやすいはずです。
なぜならば、頭を使わなくても、そのままやればできてしまうからです。
しかし、これを『わかりやすい』を言ってもよいのでしょうか?
そのままやればできてしまうというのは、『わかりやすい』というよりは『やりやすい』『マネしやすい』ではないでしょうか?
とりあえず結果は出てしまうため、自覚するのは難しいかもしれませんが、実はまったく理解できていないということもあるかもしれません。
勉強は頭を使ってこそ!
『頭を使わなくてもよいからわかりやすい』というのは勉強にとっては危険なわかりやすさです。
よりあえずできればよいというものであれば結果さえ出れば問題ないのですが、勉強に関しては『とりあえず』ではなく『いつでも』できるように力をつけなければいけません。
そのためには普段から「どうすれば解けるのか。」「どうしてそうなるのか。」などと頭を使って勉強する必要があります。
なぜなら、試験本番は自分の力で考えなければならないからです。
一から十まで細かく説明されるとわかりやすく感じるかもしれませんが、それは『勉強している』というよりは『代わりにやってもらっている』に近いのではないでしょうか。
そんな勉強に慣れてしまっては自分で考える力が衰えてしまいます。
そうならないためには、「ちょっとわからないな。」という問題に出会ったら、「どうすれば解けるかな。」としっかり考えることが大切です。
最終的には解答を見たり先生に解説してもらうことになりますが、自分の頭でしっかり考えてからの方が理解しやすいはずです。